“移動”の価値を創造する会社へ ~第二の創業期からその先へ~ 取締役社長 吉田 守孝

“移動”の価値を創造する会社へ ~第二の創業期からその先へ~ 取締役社長 吉田 守孝

プロローグ

“移動”の価値とは、何か―。自動車産業に長く身を置いてきた私が、常に問い続けてきた命題です。答えは一つではなく、終わりもありません。100年に一度の大変革期を生き残るため、2021年、アイシン精機とアイシン・エィ・ダブリュは経営統合し、新たなアイシンが誕生しました。同じ年に社長に就いた私は、この5年を「第二の創業期」と捉え、改革に取り組んできました。そして今、私たちの視線は、その先の2035年へと向いています。不確かな時代に、何を築き、何を成し遂げようとしているのか、お伝えします。

変えないもの、変えること

幼い頃、我が家に一台のクルマがやってきました。父の運転で、家族そろって琵琶湖へ。
開通して間もない名神高速道路、窓の外を流れていく景色、高鳴る胸。大学生になると、初めて買った愛車を駆って、友人たちと北海道へ。地平線まで続く、まっすぐな道。どこまでも行けるー。あの開放感を、今も忘れることができません。自由に移動したいという願いは、私たちの祖先がアフリカを出て世界へ広がっていったように、人類が長い歴史の中で抱き続けてきた根源的な欲求なのかもしれません。
“移動”とは、地図の点と点を結ぶだけのものではありません。新しい景色に出会い、人と人を結び、可能性を広げてくれるものです。自由な移動を最も身近に実現してきたのがクルマです。だからこそ人は、クルマを単なる手段ではなく、「愛車」と呼んできました。その自由を、安全に、快適に、そして感動あるものとして支える。そこに、アイシンが創造すべき“移動”の価値があります。
先の見えない時代に経営を預かり、ふと迷う時、必ず立ち返る原点があります。統合を機に定めた経営理念「“移動”に感動を、未来に笑顔を。」です。この理念こそ、どれほどの大変革期にあっても変えてはならない、私たちの拠りどころです。
変えない土台の上で、変えねばならない現実もあります。統合の船出は、コロナ禍に半導体不足が重なる荒波の中でした。既存事業を鍛えて生み出した資金を電動化・知能化へ振り向け、痛みを伴う選択と集中を進めてきました。分社経営で各社が培った技術や知見を全体資産として捉え直し、シナジーを生むグループ経営へ、大きく舵を切りました。この歩みを進めながら、私が確信を深めてきたことがあります。
「“移動”の価値を創造する力が、私たちアイシンにはある」

アイシンにしか、できないこと

クルマを人の体にたとえるなら、周囲を認識するカメラやセンサーは「目」、判断を司る半導体やECUは「脳」、そして「走る・曲がる・止まる」を担うアクチュエーターや駆動装置は、体を動かす「筋肉」にあたります。アイシンの本領は、移動の骨格を成す「筋肉」を、自らつくり出すことにあります。駆動し、制御し、止める。安心して思い通りに移動するための機能を、磨き続けてきました。
この筋肉を、自動車メーカーとすり合わせてシステムに組み上げ、国内外の自前のテストコースで実車に作り込む。企画・設計から実装、検証までを自らやり切る立ち位置を、私たちは「Tier0.5」と呼んでいます。実車・実走まで踏み込める部品メーカーは、世界でも数えるほどしかありません。移動の価値を創造しうる、数少ないメーカーの一つ。それが、アイシンです。
私たちの技術は、時代ごとに新しい価値となって、人々の移動の可能性を広げてきました。オートマチックトランスミッション(AT)は、煩雑な変速からドライバーを解放し、運転を諦めていた方にも、ハンドルを握る自由をもたらしました。2026年春の北京国際自動車展示会では、排ガス処理の触媒技術から生まれた「ハイドレイド」を車室に応用し、乗るほどに心地よく、健やかになれる移動体験を提案しました。
これからのクルマは、ハードだけでも、ソフトだけでも価値を生み出せません。アクチュエーターやモーター制御といった「筋肉」に、AIやソフトウェアという「頭脳」を掛け合わせ、部品でもソフトでもない、統合され、知能化された移動の価値を生み出していく。それが、「Tier0.5」だからこそ果たせる役割です。
新興国メーカーの台頭、電動化・知能化への対応。その渦中で、自動車メーカーの開発資源は、かつてなく限られています。求められているのは、部品を納める会社ではなく、開発を分かち合い、実車で検証した答えを持ってくる存在です。私たちは、エンドユーザー起点の発想を提案する「価値づくりのパートナー」であり続けます。
その象徴が、グループの技術を結集した「機能統合電動ユニット(Xin1)」です。バッテリーEV(BEV)向けの駆動ユニットとして普及が進む「eAxle」を進化させ、複数の機能の一体化で、小型化、高効率化、低コスト化を実現しています。車全体の電池が減り、軽量化と設計自由度の向上につながることから、「クルマ全体の価値を高める」提案として、複数の自動車メーカーから引き合いをいただいています。
こうした技術と提案力を評価いただき、取引は世界で40社を超える自動車メーカーへ広がっています。主要顧客であるトヨタ自動車向けの事業は、これからも着実に伸ばしながら、それを上回る速さで世界中のお客様との取引を広げ、2030年に向けて、トヨタ以外の売上比率を10ポイント程度引き上げていきます。全体を成長させながら、売上構成を変えていく。その過程で得た知見をグループ全体で共有し、協業や外部提携も活用しながら、価値創造力を高める。その力が新たなお客様を呼び込み、さらに企業価値を高めていく。
これもまた、アイシンにしかできないことです。

“移動”の価値を、創ること

売上規模や技術力に比べて、市場の期待に十分応えられていない。株主・投資家の皆様から、率直で、時に厳しいご意見をいただきます。稼ぐ力も資本効率も、まだまだ足りないのではないか。自動車産業の成長に比べて、私たちへの市場評価は伸び悩んでいる。この現実から、目をそらすことはできません。このギャップを埋めることが今のアイシンに課された重要な経営課題です。問われているのは、売上の規模ではありません。市場や外部環境の追い風に頼らず、たとえ逆風のもとでも稼ぎ続ける力です。
アイシンは今、「“移動”の価値を創造する会社」へと変わろうとしています。私たちが「創造」に込めているのは、お客様の要望を、そのとおりに形にすることだけではありません。
1965年の創業以来、品質至上を掲げて磨いてきたものづくりを土台に、まだ誰も気づいていない“移動”の価値を、自ら問い、描き、生み出す側へ回ることです。受け身の「つくる」から、能動の「創る」へ。この転換が、2035年に向けた私たちの戦略の中心にあります。
価値創造の第一の柱は、これまで技術と知見を培ってきた新車向け事業です。ここで私たちは、二つの領域をさらに磨きます。一つは、「走る・曲がる・止まる」を支える領域です。パワートレインやブレーキ、統合ECUを組み合わせてクルマの基本性能を高め、自動車メーカーの開発負荷低減やブランド価値向上に貢献していきます。もう一つは、「移動の快適性」を実現する領域です。車室空間にセンシングやAI、ソフトウェアを組み込み、乗車前から到着後までを一つの体験として捉え、エンドユーザーに安心、快適、ワクワクを届ける。機能価値にとどまらず、体験価値へと踏み込むことで、新車事業そのものの付加価値を高めていきます。
第二の柱は、新車に依存しない収益基盤の育成です。中核となるのが、アフターマーケット事業です。移動の価値は、新車を届けた瞬間に終わりません。一台のクルマに長く乗り続ける方のために、目利きをした確かな補修部品を世界へ届け、愛車をより長く、安全にー。それは資源を大切に使う社会への貢献であり、“移動”の価値の創造の一つの形です。
加えて、脱炭素に貢献するクリーンエネルギー技術。そして、培ってきた「ものを動かす力」や「制御する技術」から生み出そうと検討している新たな領域です。これらは単に事業を広げるという話ではありません。自動車産業の環境変化が急速に進む中でも、特定の市場や特定の動力源に過度に依存しない、強くしなやかな事業構造をつくる取り組みです。新車事業で磨いた技術と顧客基盤を活かし、2035年、さらにその先にどの柱を立てるのか。社外取締役と執行側が自由に意見を交わす「オフサイトミーティング」の場などを活用して、議論を重ねています。
未来への助走は、5年前から始まっていました。構造改革により、ROICは9.1%まで改善し、2030年には13%以上、資本コストを十分に上回る水準へ引き上げる道筋を描いています。今後3年で成長領域へ4,500億円を投じ、株主還元は総額3,000億円以上。どの領域に、どれだけの経営資源を振り向けるのか。バランスシートのあり方を含め、取締役会でも率直な意見を交わし、その妥当性を検証してきました。稼いだ果実を次の成長へ投じ、成果を株主の皆様へ還元する。この資本の好循環を確かなものにすることが、企業価値を市場評価に結びつける道だと考えています。どんな時代が来ても、“移動”の価値を創り続けられる会社になること。それが、株主・投資家をはじめとするステークホルダーの皆様への、私の誓いです。

持続的な企業価値向上に向けた道筋

持続的な企業価値向上に向けた道筋

逆風の中でも、勝つこと

描いた戦略を、どう実行に移すのか。その第一歩が、2026年2月に定めた中期経営計画です。地政学リスク、エネルギー政策の転換、新興国メーカーの台頭。これらは、一時的な逆風ではなく、競争環境そのものを形づくる構造変化です。だからこそ、今後3年で何を鍛え、どこに資源を振り向け、どう稼ぐのかを明確にしました。骨格は、「商品軸」「地域軸」「機能軸」の3軸です。
まず、機能と権限を地域へ委ねる、地域軸です。関税や通商政策、為替が大きく揺れても、収益をどう守り、伸ばすのか。重要な戦略は本社が定め、調達、営業、生産まで現地トップをはじめ、地域が主体となって判断し実行する。北米ではハイブリッドユニット、インドではATの生産を拡大するなど、地域ごとに確かな収益を上げていきます。地域に根を張るからこそ、学べることもあります。圧倒的な開発速度とコスト競争力を持つ新興国メーカーには、謙虚に学ぶ姿勢で臨みます。合弁を組む現地パートナーと連携し、高性能を追いがちな従来の考え方から、現地のお客様が本当に求める価値を、必要なコストで実現する進め方へ変えていく。その学びを、日本のものづくりで培った品質と信頼性に掛け合わせ、これから伸びる市場で戦う力へ高めていきます。
次に、商品の収益力を鍛える、商品軸です。脱炭素の進み方は、その国がエネルギーをどれだけ確保できるかで異なります。BEVが現実解となる地域もあれば、ハイブリッド(HEV)やプラグインハイブリッド(PHEV)、エンジンが長く求められる地域もある。世界は一つではなく、いくつもの未来が同時に進んでいきます。世界一のパワートレインユニットを1丁目1番地に据え、地域ごとの最適解を届けるフルラインアップ戦略を貫きます。
これは、どの未来が来るか分からないから備える保険ではなく、土地ごとの現実に応える攻めの戦略です。その中で、「機能統合電動ユニット(Xin1)」とともに今後の成長をけん引する技術の一つが「回生協調ブレーキシステム」です。減速時のエネルギーを電気として回収し、燃費・電費の向上に直結する技術です。ブレーキは命を預かる保安部品であり、安全性の検証には長い年月と実績が求められるため、後発の参入は容易ではありません。長くこの技術を磨き続け、量産で応えられる部品メーカーは、世界でも限られており、アイシンは、その一社です。HEV、PHEV、BEVいずれにも搭載でき、どの動力源が主流になろうと、収益機会の確保とリスクの低減に貢献します。
そして、全社の足腰を固める、機能軸です。地域で戦う力も、商品で応える力も、リソーセスを最も価値の出る場所に動かせてこそ持続します。物流、生産、デジタルといった共通機能を束ね、人材・技術・設備といった既存アセットをどの領域へ振り向けるのか。機能ごとに見極め、経営資源を最適に配置していきます。
地政学であれ、エネルギー政策の転換であれ、新興国メーカーとの競争であれ、3軸が有機的にかみ合えば、いかなる逆風のもとでも戦い抜ける。そう考えています。

【基本方針】「稼ぐ力」の強化と、将来への「仕込み」の両立

社会の課題に、応えること

“移動”の価値を、お客様目線で突き詰めていくと、その先には必ず、環境や社会の課題があります。だからこそ私は、サステナビリティを、経営の真ん中に据えています。どの事業を選び、どの技術を育て、どの領域へ投資し、どの社会課題に事業として向き合うのか。中長期の企業価値を左右する判断の、拠りどころです。
この考えから事業化したAIオンデマンド交通「チョイソコ」は、免許を返納した方や、公共交通の手薄な地域で暮らす方の生活の足となっています。年齢や性別、障がいの有無にかかわらず、あらゆる人に移動の自由を届ける。それが、私たちの目指す社会への一歩です。
地球環境の持続可能性にも、同じ考えで向き合います。クルマの電動化に貢献する技術を、社会全体のカーボンニュートラルへ広げる。ペロブスカイト太陽電池、水素生成技術、石炭コークスに代わるバイオ成型炭「Bio-M-Coke®」。こうした研究・実証成果を現場へ実装し、環境への貢献にとどめず、収益の柱の一つへと育てていきます。社会課題への挑戦は成長の機会であり、社会価値と経済価値の両立こそ、長期的な企業価値向上の原動力だと考えています。

問い続け、挑み続けること

第二の創業期と位置づけたこの5年は、従業員とともに、戦略実行の土台を築く歳月でもありました。売上収益は5兆円規模となり、営業利益率も高まったことで、将来へ投資する力が備わってきました。組織の壁をなくす機能本部制が根づき、グループ全体の人材・技術・設備・ノウハウを、一つの資産として活かせるようになりました。
アイシンの企業価値の原点にあるのは、現場で働く一人ひとりの力です。だから私は、人材への投資に最も力を注いできました。グローバルおよそ11万人の総数を増やすのではなく、中身を成長領域へ移していく。ソフトウェア人材を2030年に向けて2025年度比で約4割増やし、定型業務はAIやDXに委ね、人はより付加価値の高い仕事に取り組んでいくことにしています。
現場の意識も変わり始めています。部門や会社の枠にとどまらず、グループの力をどう使えば、より大きな価値を生み出せるのか。目線は、外へ外へ、先へ先へと向き始めています。一人ひとりが「“移動”の価値とは何か」を自ら問い、答えを自分の仕事で創り出していく。その積み重ねが、アイシンの企業価値を未来へ押し上げていくと信じています。現場に近いところで、スピード&アジャイルに経営判断をしていくため、この4月には経営体制も改めました。二人の副社長にそれぞれの領域を委ね、私自身はグループ全体の針路決定、次代の経営人材の育成、2035年、さらにその先の長期戦略に軸足を移しています。不確実性が高まる時代だからこそ、走りながら柔軟に変化に対応するチーム経営への転換です。
速さは、正しさに支えられてこそ力になります。戦略を描き、実行する経営陣に対し、その妥当性と進捗を監督するのが、取締役会の役割です。互いの役割を果たし合う健全な緊張関係が、企業価値向上の源泉になると考えています。
企業経営に長けた廣田康人氏、サステナビリティに深い知見を持つ達脇恵子氏を新たに社外取締役に迎え、客観的な外部視点が加わり、議論は多面的で重層的になりました。
短期での個別の意思決定にとどまらず、中長期の戦略や経営資源の配分を議論し、執行を適切に監督しながら、健全なリスクテイクを後押しする「監督の場」へと取締役会の進化を進めています。今後も監督と執行の役割を明確にし、企業価値向上に向けたガバナンス改革を加速していきます。
移動を支える技術と、それを企業価値へつなげる経営。この両輪が、地域ごと、お客様ごとの最適解を生み続けます。生み出した価値は、すべてのステークホルダーの皆様へ還元していく。その成果と課題を携え、株主・投資家の皆様と膝を交えて語り合う場を、これまで以上に持ちたいと考えています。
私たちが取り組む「“移動”の価値とは何か」という問いに、終わりはありません。変えてはならぬものを守り、変えるものを大胆に改めながら、私たちはこれからも挑み続けます。
それは、学生時代に車を操り旅した高揚感のように、エンジニアとして挑んだ技術の進化のように、世界中の人々がいつでも自由に安心して行き交える未来のように、移動こそが人と社会を幸せにし、笑顔にすると信じているからです。
2035年、そしてその先へ。今後のアイシンに、どうぞご期待ください。